日本を代表する4人組ロックバンド「L’Arc-en-Ciel」。ラルクの愛称で親しまれ、インディーズシーンで絶大な人気を獲得後、メジャーデビュー。1998年にはシングル3枚同時販売し、オリコン1位、2位を獲得、そして、ミリオンセラーを記録という伝説を残しました。ボーカルのHydeさんのカリスマ的人気は今でも健在ですよね。そんなL’Arc-en-Cielですが、検索をすると「L’Arc~en~Ciel メンバー 死亡」というワードが出てくるようなのです。今回は、L’Arc-en-Cielのメンバーの死亡という噂について、調査しました。

L’Arc-en-Ciel(ラルク)のメンバー死亡の真相は?

結論から申し上げますと、L’Arc~en~Cielのメンバーが死亡したという事実はありません。現メンバー4人(Hyde、Tetsuya、ken、Yukihiro)は全員健在で、今も変わらず音楽活動を続けてます。公式サイトではライブの告知もあり、複数のイベント出演や新曲制作が予定されていますね。ではなぜ、L’Arc~en~Cielのメンバーが死亡したという検索ワードが出てくるのでしょうか。これは、複数の理由が関係しているようです。

Hiroの死亡説

初期メンバーのHiroさんは、ギターを担当していましたが、1992年に方向性の違いで脱退しています。同年にkenさんが加入し、ドラムのPeroさんも1993年に脱退し、その後Sakuraさんが加入しました。Hiroさんは脱退後も音楽活動を続けていましたが、一部で死亡説が浮上していたようです。しかしこれはデマで、L’Arc〜en〜Ciel脱退後は、PeroさんとともにAnge∞Graie、FEEDを結成。その後はFlameというバンドを立ち上げています。2015年にTetsuyaさんがソロ名義で開催したライブでは、Tetsuyaさん、Hiroさん、Peroさんで「I’m in Pain」と「Dune」のセッションを披露していました。

舞台演出監督の死亡

ラルクのメンバーではありませんが、L’Arc~en~Cielの舞台演出を担当していた監督・近藤琢哉さんが亡くなっています。2009年の出来事で、死因は交通事故でした。ラルクのファンの中でも有名な方で、「コメットさん」という相性で親しまれていたようです。晩年はラルクのマネージャー的な役割を担っており、ラルクを初期の頃から支えてくれたなくてはならない存在でした。事故はあまりにも突然のことで、メンバーやファンも大きなショックを受けています。その後発売されたアルバムのラストに収録された「流れ星」は、近藤琢哉さんに捧げる曲と言われていました。また、「Tetsu」が「Tetsuya」に改名したのは「近藤琢哉」さんの「哉」をとったのでは?という声もあがっています。

L’Arc-en-Cielの不仲の噂

L’Arc-en-Cielには、長年「不仲説」が浮上していました。前述したように、メンバーの脱退が繰り返されたことも、影響しているようです。ラルクはもともと、リーダーのTETSUYAさんが中心となって結成したグループですが、忙しさのあまり皆で一緒にいても誰も何も話さない状態があったとか。結局グループの活動よりも、個々の活動がメインになっていったので、不仲説がささやかれたようです。特に、HydeさんとTetsuyaさんの仲が悪いなどと噂されることが多かったようです。これについては、Tetsuyaさんがテレビ番組で語っています。

Hydeの脱退危機

バンドの解散危機があり、Hydeさんが「辞めたい」と言い出したのか。スタッフ経由で手紙が届き、バンドを脱退したいと書かれていたそうですよ。Hydeさんは思いつきで言うタイプではなく、よほど考えた上の結論だと思い、「仕方ない。もう受け入れるしかないからもう解散しよう」と決意。メンバー集めて、「ありがとう、解散もうこれ最後ね」と解散寸前までいったそうです。しかしその後スタッフから、「お前リーダーなら止めろよ」と言われ、Hydeさんと2人きりで会い、話しあって説得に成功しました。バンドが絶好調だった2002~03年ごろの出来事だったそうで、かなり驚きですよね。

Sakuraの逮捕と活動休止

人気絶頂だった1997年2月、Sakuraさんが覚醒剤取締法で逮捕されてしまいます。活動休止状態となったことで、不仲説もささやかれたようですね。この間に残りのメンバーとスタッフ数名は、リフレッシュのため渡英していたそうです。Sakuraさんの逮捕はワイドショーなどで大きく取り上げられ、後年になってもネット記事で再拡散されました。1993年に加入したSakuraさんは高い演奏技術でバンドを支え、メジャーデビュー期を共にしていまます。1997年10月に3人体制で活動を再開し、バンド名の日本語訳を冠したシングル「虹」は累計70万枚以上を売り上げました。同年11月4日にはSakuraさんが正式に脱退することが発表され、Yukihiroさんを迎えて改めて4人体制で安定した活動を続けています。

長期活動休止や露出減

ラルクはこれまで、数年間にわたる活動休止期間がありました。その間は音楽番組や雑誌への出演が減少したため、メンバーの死亡説や不仲説がささやかれるようになったようです。2000年のドームツアーから約2年半後に7日間にわたるライブ「Shibuya Seven days 2003」を開催。これが解散ライブになると噂されていましたが、翌年にニューアルバムをリリースし、ライブツアーを開催すると告知し、解散説を一蹴。2008年には「結成20周年を迎える2011年までライブ活動を休止する」と発表し、不安な声もあがっていました。各メンバーはソロもしくは別バンドでの活動期間に入りますが、その後も解散はなく現在に至ります。

L’Arc-en-Cielメンバーの関係を調査

L’Arc-en-Cielは現在も関係は良好で、結成30年を迎えました。ラルクは1991年、大阪で結成され、何度かメンバー交代を経て、現在のHyde、Tetsuya、ken、Yukihiroの体制に至っています。インディーズ時代からライブハウスを中心にファンを獲得し、1994年にはシングル「Blurry Eyes」でメジャーデビューを果たしました。いきなりアニメ『D・N・A²』の主題歌として注目を集め、95年には初の日本武道館公演を開催。同年発売のアルバム『True』が初のアルバムランキング1位&ミリオンセラーを記録しました。メンバーはそれぞれソロプロジェクトの活動もしていますが、解散はなく、それぞれのペースで活躍し続けています。

まとめ

今回は、L’Arc-en-Cielのメンバーの死亡という噂について、紹介しました。L’Arc-en-Cielのメンバーの死亡という噂はデマで、過去のメンバーの死亡説や不祥事から、噂に発展したようです。何度か活動休止があったり解散説が浮上していたので、いろいろと噂になっていたようですね。バンドの30周年も迎え、ますます勢いに乗るL’Arc-en-Ciel。今後の活動も、応援していきたいと思います!