ポロとはどんなスポーツ?発祥国やルールを解説!日本でも流行してた?

英国王室をはじめとする、上流階級に愛され馬と人がひとつになって動く姿が、まるで芸術のような高貴なスポーツ。そんなイメージはあるけれど、どんなスポーツかを知っている方は少ないのではないでしょうか。日本では競馬など馬に関わるスポーツに触れる機会もあり、ブックメーカー おすすめといった話題が出ることもありますが、馬上競技そのものには長い歴史と文化が息づいています。
そんな方のために、この記事では、永遠の紳士のスポーツ、ポロの歴史やルール、魅力を初心者の方にもわかりやすくご紹介します。
Contents
ポロとは?どんなスポーツなのかを簡単に解説
ポロ(Polo)は、馬に乗って、ボールをスティックで打ち合いながら、相手のゴールを狙うチームスポーツです。「馬上のホッケー」とも呼ばれています。主に開けたフィールドで行われ、俊敏な馬の動きと選手の技術が一体となった、スピード感と迫力が魅力です。
ポロと聞くとファッションを思い浮かべる人も多いですが、実は古代から続く由緒あるスポーツなのです。
ポロの発祥国と歴史
ポロは他のスポーツと比べても、非常に歴史が古く、格式の高い競技です。
起源は古代の中央アジアやペルシャ地域にまでさかのぼります。かつては王族や貴族が楽しむ社交的なスポーツとして発展し、現在も英国王室などの文化に根付いています。
ポロの起源や歴史、世界とのつながりについて解説します。
ポロの起源はペルシャ?
ポロの起源は、古代ペルシャや中央アジアの遊牧民が行っていた、馬上でボールを打つ競技にあります。ポロの語源はチベット語の「Pholo(ボール、球技)」に由来するといわれています。その後、騎馬隊の軍事訓練の一環としてインドに伝わり、14世紀には、王族や貴族の間で人気のスポーツになりました。
ポロは2000年以上の歴史を持つ、伝統的なスポーツなのです。
イギリスでの発展と世界への広がり
ポロはイギリスで、近代スポーツとして整備されます。
19世紀、インド駐在のイギリス軍人がポロを経験し、その面白さを本国に持ち帰りました。イギリスでルールが整備され、近代スポーツとして発展していきます。
1860年代には、最初のポロクラブがイギリスで設立され、ルールも統一されました。
イギリスから他のヨーロッパ各国、アルゼンチン、アメリカ、オーストラリアなど世界中に広まります。
特にアルゼンチンでは、広大な草原と優れた馬の飼育文化があり、ポロは国民的スポーツとして定着し、世界トップクラスの選手やチームが存在するほど盛んです。
ポロはペルシャで誕生し、イギリスで体系化され、世界へと広がったスポーツと言えます。
ポロの基本ルールと試合の流れ
基本ルールは、2つのチームが騎馬で「マレット」と呼ばれるスティックを使い、小さなボールを相手ゴールに打ち込んで得点を競います。
フィールドはサッカーコートの6〜9倍と非常に広いです。
試合は「チャッカ」と呼ばれる7分間の区切りで、1試合は通常4〜8チャッカで構成されます。得点ごとに攻守を入れ替え、スピーディーな試合展開が特徴です。
相手に危害を加える危険な行為はファウルとなり、得点機会を奪うペナルティが科せられます。また馬を酷使しないためのルールは、選手は1試合の中で、複数の馬に乗り換えることです。
チーム構成と試合形式
ポロは1チーム4人で構成されます。役割は以下の通りです。
- 1番:攻撃の中心的な役割を担う
- 2番と3番:攻撃と守備の両方で中央をカバーする
- 4番:守備の要として、相手の得点を防ぐ
広いフィールドで、選手と馬のコンビネーションが勝敗を分ける鍵になります。
選手は巧みに馬を操りながら、角度や距離を計算してシュートを打つので、スピードと判断力、チームワークが求められる総合スポーツなのです。
使用する道具と装備
ポロで選手が使用する道具は、主にボール、マレット、ヘルメット、ブーツ、ニーガードです。マレットは竹製やカーボン製で、先端の木製ヘッドでボールを打ちます。
安全面に配慮して、ヘルメット、サングラス、プロテクターなどの装備も必須です。
ポロで最も重要なのが「ポロポニー」と呼ばれる競技用の馬です。
「ポニー」といっても実際は中型の馬で、俊敏で操作性が高いサラブレット種が使われます。1人の選手が、1試合で複数の馬に乗り換えるので、馬のコンディション管理も勝敗に大きく関わります。
観戦時には、プレーヤーが馬と一体になってプレーする美しさにも注目が集まります。
日本におけるポロの歴史と現状
日本にも、ポロの前身となる競技「打毬(だきゅう)」が存在しました。
打毬はポロと起源を同じくし、中央アジアの一角に発したものと考えられています。
西に流れたものがヨーロッパで「ポロ」に、東に流れたものが中国で「打毬」となったようです。
打毬は、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わり、平安時代から宮中行事として行われました。鎌倉時代以降は衰退しましたが、明治以降は西洋馬術の影響を受け、現代的な形式に変化しました。
次に明治以降の日本でのポロと現在について解説します。
戦前は上流階級で人気だったスポーツ
ポロが日本で初めて行われたのは、明治時代から大正時代にかけてと言われています。
イギリス文化への関心が高く、皇族や軍人、上流階級の間で人気を集め、社交の場としても注目されていました。
第二次世界大戦をきっかけに、ポロスポーツは一時中断となります。戦後は馬の確保や競技人口の減少など、日本の国土の狭さや社会事情の変化により衰退してしまいます。
それでもポロは、憧れのスポーツ「キング・オブ・スポーツ」として多くの人の記憶に残り続けました。
現在の日本ポロ協会と国内クラブ活動
現在日本では、日本ポロ協会が中心となり、国内での普及活動がすすめられています。
特に北海道の「ノーザンホースパーク」では、馬を通じての国際交流もあるようです。乗馬経験がなくても、初心者向け体験コースや練習用のポニーが用意されているため、一般層にも門戸が広がっています。
日本で再び、気品ある馬上スポーツとして、ポロ文化が復活しつつあります。
まとめ
ポロは、古代ペルシャにルーツを持ち、長い歴史と高貴な文化を今に伝えるスポーツです。ルールはシンプルですが、馬術・戦略・チームワーク・気品が融合した奥深いスポーツです。日本でも少しずつ注目が高まりつつある今、あなたもぜひ一度その世界をのぞいてみませんか?






